名前

クロワッサンの中にチョコレートが入ってているパンを フランスの南西部では chocolatine と呼び 残りの地方では pain au chocolat と呼ぶ パンの切れ端のことを フランスの南半分では quignon と言い 北半分では croûton と言う そんなどうでもいいことで 時間が過ぎていく 名前がどうでも なにも変わらない そんなことは知っている 名前なんて 言葉が違えば違うのだ それも わかっている それなのに僕は 名前にこだわる 名前なんか どうでもいいのに なぜか名前が気になる 違う場所では違う名前で呼ばれる草 まったく同じ草なのに 違う地方に行けば違う名前で呼ばれ 違う草だと思われている 違う場所では違う名前で呼ばれる花 全然違う花なのに 似たような名前が付けられて 同種だと間違われたりする 違う場所では違う名前で呼ばれる木 まったく違う木なのに 同じ名前で呼ばれているので 同じ木だと勘違いされている 中国から日本に漢字がやって来た時に もうすでに 木には名前があって その木の漢字を知った当時の日本人は 前からあった読みをその漢字に当てた だからこんがらがるのは当たり前で 間違えるのも当然で 橡はトチノキだと栃とも書いて 橡がクヌギだと櫟とか椚とも書き 橡はツルバミだったり 櫟はイチイだったり 紛らわしいこと この上ない 科はシナで榀とも書くが 榀という字は漢字ではなくて 日本でできた国字だという なにがなんだかわからないから ぜんぶカタカナで書けばいい トチノキ クヌギ ツルバミ イチイ シナ で いいではないか そんなことを呑気に言っていたら あっという間に世界中が近くなり 知らないところから知らない木が 人に運ばれてやってきた 名前はみんなカタカナで どの木が 日本のどの木だと 専門家は忙しくしたけれど お互いの連絡もつかぬまま たくさんの勘違いと間違いが生まれ でも  まあいいや という人たちのおかげで ゆるやかな気分で木の名前を呼ぶことができる 遠い国の植物園で 名前の札を食い入るように見ても 草も花も木も なんて呼ぶのか わからない 知っているはずの草や花や木まで 名前を失ってゆく 隣の国の植物園で 名前の札に書かれた漢字をずっと見ていたとしても 草も花も木も 呼び方が違いすぎて 混乱してしまう 知っているはずの草や花や木の名前が 違っているのではないかと疑い出す 草や花や木は 名前はどうでも生きていて その美しさは 名前で変わる わけではない 君の名前がどんなでも 君をなんと呼ぼうとも 君は君 美しい